「ドラゴンの赤ちゃん、拾いました」を書き始めた18年前は、連日のようにシリアの内戦が報道されていました。そして今は連日のようにロシアのウクライナ侵略が報道されています。
ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、シリアのアサド大統領の妻であるアスマー・アル=アサドは、その美貌と慈善活動や子供の教育問題に対する熱心さから、「砂漠の薔薇」や「中東のダイアナ」と評されていました。
ロンドン生まれのアスマ夫人は英語も堪能で、ファーストレディーとして、英語でメッセージを発信することも多かったので、欧米での評価は高いものでした。
また、若き日のアサド大統領も、強権主義の父親よりはウエスタナイズされていると考えられていました。そのため、二人は欧米メディアからも概ね好意的に受け止められていました。
そのような理由から、2011年にはフランスのヴォーグ誌に特集が掲載されるなどしていました。(「砂漠のバラ」は、ヴォーグのウェブサイトにも掲載されていましたが、現在は削除されています。)
一方で、彼女は自分を飾り立てることにも熱心でした。国民が苦しんでいる中、パリでブランド品を買い漁る姿が度々、目撃され、次第に「中東のマリー・アントワネット」と呼ばれるようになりました。
2010年頃から中東全体に広がったアラブの春*の後は、国内の民主化運動に弾圧を加える夫を支持し、沈黙も保つようになり、欧米諸国での批判が高まりました。
「アラブの春」は、2011年にチュニジアで起こった民主化運動です。若者らがSNSを使って、反政府デモや民主化運動を呼び掛けました。その後、この運動は瞬く間に中東全体に広がりました。
チュニジアやエジプト、リビアでは一旦は軍事政権が崩壊しましたが、その後、各国の民主化運動は次々と頓挫し、内戦や混乱が続いています。
シリアでは、アサド政権が民主化運動を武力をもって弾圧しようとしたことから内戦が始まりました。政府軍と反政府軍の戦いは現在に至るまで、約13年にも続いており、その他の武装勢力が参加することによって泥沼化しています。
日本ジャーナリストでも、内戦の取材中に命を落とされた方がいます。
この内戦によって、多くのシリア難民がヨーロッパへと流出することになり、別の問題も生まれました。
数年前のBBCのインタビューで、アスマ夫人は政府による自国民の虐殺を否定していました。「もしも、何らかの理由でシリア国内にそういった残酷な行為が存在するのなら、それはとても悲しいことです。もしも、何の罪もないシリア国民が大量虐殺されているのだとしたら、国際社会はこれを見過ごしてはいけません」とも語っていました。
なんという欺瞞でしょう。
自らも3人の子供を持つ大統領夫妻は、罪もない自国の子供たちが戦闘に巻き込まれ、死んでいっている姿をどのような気持ちで見ているのでしょうか。国民を守るべき国の指導者が、自国民を攻撃するなどあってはならないことだと思います。
そんなアスマ夫人は、5年前に初期の乳がんの摘出手術を受けました。今は快復して、公務に励んでいるようです。
私は、「ドラゴンの赤ちゃん、拾いました」が将来、紛争地域の子供たちに届いて、夢と希望と慰めを与えられる日がくることを願っています。子供たちは宝です。人と人が殺し合う――そんな悲しい環境で育った子供たちは、将来、どんな大人になるのか。それは私にはわかりませんが、どのような環境にあっても、子供たちの中にある善の光がなくならないことを私は信じています。どのような環境にあっても、より良い明日を信じる力が若い命の中から完全に消えてなくなることはないと信じたいです。例え、それが小さな残火となってしまったとしても…
歳をとるにつれて、人は残酷な現実を学び、希望を失います。しかし、子供たちはどんなに状況でも、希望を失わず、明日を信じられます。それが若い生命に備わった力だと思います。
「ドラゴンの赤ちゃん、拾いました」を読んでいる子供たち、どうか自分の中にある善の力を信じてください。どんな状況にあっても、希望を失わずに生きてください。そして、それを絶対になくさないと固く自分に誓ってください。
そして、自分たちが大人になったときには、暴力や武力で相手をねじ伏せるのではなく、平和な方法で問題を解決する道を選んでください。
これを読んでいる子供たちに伝えたいことがあります。人生は今、あなた方が考えているよりもずっとすっと長いです。私は予言します。あなた方はこれから、善い人も悪い人も含めて様々な人に出逢うでしょう。多くの出来事に直面し出会い、多くのことに挑戦し、多くの困難と挫折、そして少しの成功を味わうでしょう。
けれども、希望を失わない限り、やり直す機会は何度でも与えられます。やり直せるかどうかは、いつだって自分次第なのです。希望を持ち続けてください。心の中の善の種を自分で潰さないでください。
紛争地帯に住んでいる人にも、平和な国に住んでいる人にも、人生の危機は同じように訪れます。
先にも書いたように、人生は長いのです。時には、もう立ち上がれないと思うほど、打ちのめされることもあるでしょう。けれども、あなた方には何度もチャンスが与えられます。俯いたまま、じっと地面を見つめて過ごすには、人生は長過ぎます。人生の最後の日まで、俯いて暮らすのではなく、立ち上がって、前に進むことを選んでください。
私は「ドラゴンの赤ちゃん、拾いました」を書き始めた時点では、悲惨な話や暗い話をどれくらい盛り込むかまだ決めていませんでした。漠然と子供向けの優しくてほんわかしたお話を書きたいなと思っていました。
しかし、シリアや様々な国々で起こっているニュースを日々、耳にするにつれ、考え方が変わってきました。世界には悲惨な状況で暮らしている子供達がいっぱいいます。目の前にある問題に気付きながら、無関心でいること、目を背けていることは罪ではないでしょうか。
彼らのために、こんな自分でも出来ることは何だろうと考えたとき、小説やエッセイを通してメッセージを発信することを思いつきました。戦争などの悲惨な状況に巻き込まれている子供たち、家庭環境に恵まれない子供たち、病気と闘っている子供たち、そしてもちろん幸せに暮らしている子供たちにも、勇気と希望を与えられるようなファンタジー小説を書けたらと思うようになりました。
残念ながら、私には文才はありませんし、恐ろしく遅筆です。しかし、心を込めて書いた文章には、誰かの心を動かす何かがあると思っています。
最後に、この作品を読んでくれている大人たちへ、一つのメッセージを発信します。
子供の頃、あなた方は何になりたいと考えていましたか。何に憧れていましたか。あの頃、あなた方が憧れていたヒーローやヒロインは、きっと、人々を助ける正義の味方だったのではないでしょうか。そして、あなたも大人になったら、そんな人になりたいと思っていたのではないでしょうか。
大人になった今、あなた方はやろうと思えば、なんでも自由にできます。今の自分たちに何が出来るか考えてください。やりたいことがあれば行動に移し、伝えたい言葉があればペンを取って下さい。
「ペンは剣よりも強し」という言葉があります。善い目的を持って書いた物であれば、必ず誰かの心を動かせるはずです。善の声は優しく静かな声でありながら、それでいて強く胸を打ちます。それは耳触りな声でもなく、大きな声でもありませんが、銃声よりも深く心を貫ぬくのです。これを読んでいる大人たち、世の中に向かって善の声で語りかけようではありませんか。
この記事は2022年に書かれました。
コメント