ダンケルクの戦い

夜もすがら もの思ふ

皆さんは「ダンケルクの戦い」をご存じでしょうか。日本人は知らない人が多いと思いますが、ヨーロッパでは知らない人はいないというくらい有名な戦いです。どのくらい有名かというと、本来、地名である筈の「ダンケルク(Dunkerque)」という単語が、英語では「Dunkirk:必死の撤退」という名詞にさえなっているほどです。ちょっと違うかもしれませんが、日本語の「夏の陣」に近い言葉かもしれません。

アゾフスタリ製鉄所とアゾフ連隊

話は飛びますが、5月8日に、アゾフスタリ製鉄所に残っていた一般市民の避難が完了したとの報道が日本にも入ってきました。ほっとした半面、これからが本当の地獄の始まりのような気もします。なぜならば、一般市民がいなくなった今、アゾフスタリ製鉄所に残されたアゾフ連隊に対するロシアの攻撃が容赦のないものになることが予想されるからです。
そんな中、アゾフ連隊の妻たちが「ダンケルクの奇跡」を待ち望み、人知を超越した何かが起こり、自分たちの夫がアゾフスタリ製鉄所から救出されることを祈っているとの声明を発表しました。彼女たちは「一般市民だけではなく、兵士にも人権はある」として、何度も夫たちの救出を世界に訴えてきました。

「地下要塞からの電話で、彼は私に『永遠に愛している』と言ってくれました。その言葉は、まるで『さよなら』と言っているかのようでした。」
アゾフ連隊の司令官の妻の言葉(USA Today紙)

地下要塞内部の様子

日本でも、ウクライナの悲惨な状況を耳にする度に、胸を痛めていらっしゃる方がいると思います。特に、アゾフスタリ製鉄所に閉じ込めれた一般市民とアゾフ連隊が置かれている状況は酷いものです。
彼らはいつ天井が崩れ落ちても不思議ではない真っ暗な地下要塞の中で、間断なく飛んでくるロシア軍の地下貫通弾に怯えながら、二ヶ月近くを過ごしました。
爆撃による粉塵がもうもうと舞う中、地上の新鮮な空気を引き入れることもままならず、カビが大発生し、死臭と排泄物の臭いが充満する中での二ヶ月です。想像を絶するものがあったと思います。

どんな状況でも、子供たちは未来を信じる ― アゾフスタリ製鉄所の地下要塞に避難している子供たち

アゾフ連隊の負傷兵たち

地下要塞の中では、水も食料も医療品も尽きて、一杯のスープを数人で分け合っていると言われています。また、電気も止まっているため、避難した当時(冬)は非常に寒かったようなのですが、現在は非常に蒸し暑くなっているとも聞いています。
負傷した兵士は何の治療も受けられず、麻酔も痛み止めもないまま、苦しみ抜いた挙句、死んでいく…
しかし、彼らは死んだ仲間の遺体を遺棄したりはせずに、そのままにしているそうです。いつか遺体を遺族に引き渡たせる日がくるとの希望を持って…
一方、ロシア軍は死者に対する敬意をまったく払わず、兵士の遺体をゴミのように扱うと言われています。
そして、生き残っている兵士達もけして良い状態とは言えず、弱り切った体で残虐なロシア軍を立ち向かわなければなりません。

少し前に一人の女性兵士が真っ暗な地下要塞の中で、仲間を励ますために歌を唄っている動画がYouTubeにアップされましたが、その動画を観た途端、涙がこぼれ落ちてしまいました。

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ウクライナの女性兵士の歌(このアカウントは現在、停止されています。)

これまでにも、ゼレンスキー大統領は何度も「世界は何もせずに、ただ彼ら(アゾフスタリ製鉄所に閉じ込められた人々)が死んでいくのを見ている」と欧米諸国を非難してきました。しかし、私達には彼らを救出する力はありません。なぜなら、第三国が迂闊に救助の手を差し伸べたら、それがプーチンを刺激する材料となって、第三次世界大戦が始まりかねないからです。

(Guardian紙より)

アゾフ連隊は全員、死を覚悟しているようです。彼らは何か月も前から、死ぬまで戦うと宣言しています。彼らをそう言わせているのは、ヒロイズムや愛国心だけではなく、長年にわたるロシア軍との軋轢があるからだとも言われています。
アゾフ連隊はロシア軍から目の敵にされており(長くなるので、詳細は省きます。気になる方はネットニュースなどで確認してください)、降伏したら最も(むご)い殺され方をするだろうと予想されています。(一般市民の中にも家族の前でガソリンをかけられて生きながら焼かれたり、何人もの兵士にレイプされた末に殺された人たちがいますが、それよりも酷い殺され方だということです。)

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アゾフ連隊の隊長が地下要塞の中から、投稿した動画「俺たちに降伏という選択肢はない」
(このアカウントは現在、停止されています。)

ダンケルクの戦いとは

ここで、アゾフ連隊の妻たちが待ち望む「ダンケルクの奇跡」とはどういうものか皆さんに理解していただくために、その元となった「ダンケルクの戦い」についてご説明します。

「ダンケルクの戦い」とは、第二次世界大戦中にヨーロッパ西部で起こった戦闘の一つです。ドイツ軍がフランスに侵攻した1940年5月24日~6月4日、追い詰められた英仏軍はフランスのダンケルクでドイツ軍の攻撃に耐えていました。
時の首相ウィンストン・チャーチルは、イギリス海外派遣軍とフランス軍からなる約35万人の兵士をダンケルクから救出することを命じ、それに応じたイギリスのありとあらゆる軍艦、輸送船、小型艇、漁船、民間船などが撤退作戦(作戦名:ダイナモ作戦)を遂行しました。
一方、ブレストに在泊していた強大なフランス艦隊は何もしようとしなかったとされています。

ドイツ軍は、連合軍の本格的な反撃に備えて機甲部隊(戦車)の温存をはかり、空軍による攻撃でこれを阻止しようとした。しかし、これをイギリス空軍が迎撃し、連合軍のほとんどは海からの脱出に成功した。
尚、この時、カレーで包囲されていたイギリス軍部隊は、ドイツ軍を引きつけておくために、敢えて救出されなかった。この部隊の犠牲もダイナモ作戦の成功の一因であった。

この戦いで、イギリス軍は約3万人の兵員を捕虜として失い、880門の野砲、310門の大型火砲、約500門の対空砲、約850門の対戦車砲、11,000丁の機関銃、700両近くの戦車、20,000台のオートバイ、45,000両の軍用車両及びトラックなど、重装備の大半の放棄せざるを得なかった。
数十万の兵士がほぼ無装備で帰還した後、イギリス軍は深刻な兵器不足に陥るが、この撤退はイギリスにとって人的資源の保全と、戦意の維持という意味では大きな成功を収めた。
この時の戦いは「ダンケルクの戦い」または「ダンケルクの奇跡」と呼ばれ、後世に語り継がれている。

漁船までもが救出に向かったという、これぞブリテン魂!というようなお話ですね。日本も今は平和ですが、もしも戦争になったら、こうありたいものです。

この「ダンケルクの戦い」は何度も映画化されています。一番新しいものでは、2017年にイギリス人監督が製作した「ダンケルク」があります。第90回アカデミー賞では3部門で受賞を果たしています。
私は予告編しか観ていませんが、「Hope is a weapon(希望は武器)」、「Survival is victory(生き残ることこそが勝利だ)」、「We have a job to do(我々にはやらなければならない仕事がある)」、「There is no hide on this side(連合軍側には、隠れる場所がない)」などという台詞からも当時の過酷な状況がうかがえます。

映画「ダンケルク」予告編

アゾフ連隊の話でも、ダンケルクの戦いでも、こういった戦争の話を聞く度に、私は自分が同じ状況に置かれたら、どのような行動を取るだろうかと考えてしまいます。
死が目前に迫っている状況で、他者を助けることができるだろうか、弱者を優先できるだろうか?自分だけ助かろうとしてしまわないだろうか?私には自信がありません。たぶん、皆さんも同じように考えるのではないかと思います。

何もできない小心者の私ですが、こうして情報を発信することで誰かに何かを伝えられたらと願っています。
遠い日本から、アゾフ連隊の方々に「ダンケルクの奇跡」が起きることを祈っています。

この記事は2022年5月に書かれました。


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