「それがさ~、小さいけど本物のドラゴンなんだよ!俺、初めて見たよ、本物のドラゴン!ちゃんと翼も付いているし、鉤爪だって生えてるんだぜ。いや、もうホント、感激したなあ~」
カウンターに陣取っている大柄な男は、身を乗り出すようにして、盛んにリリちゃんとママに話し掛けていました。
「ドラゴンと言えば、久し振りにドラゴンフルーツが食べたくなったな。ママ、ドラゴンフルーツある?」
「あら、やだ。センセったら鼻が利くのね!どうしてウチにドラゴンフルーツが置いてあるってわかったの?!センセのために買っておいたのよ。」
「よく言うぜ。」
先生と呼ばれた男は苦笑しました。ママはカウンターの下に設置してある冷蔵庫からドラゴンフルーツを取り出すと、自慢げに男に見せました。
「珍しいでしょう?この辺では滅多に手に入らないのよ。」
ドラゴンフルーツを見せられた先生は、嬉しそうな声を挙げました。
「ルーゼンですって?!有名なリゾート地じゃないの!誰と行ったのかしら?センセも隅に置けないわね。この色男。」
ママが冷やかすと、男は恥ずかしそうに頭を掻きました。
「大学の卒業旅行で、男三人で行ったんだよ。可哀想だろ~。」
「ホントかしら?ルーゼンに男三人で行くなんて。ねぇ、リリちゃん?」
ママの横でリリちゃんが、クスクス笑っています。
「あっ、信じてないな~。本当だよ、リリちゃん、信じてよ~。」
男はもう何年の前の話を、必死になって弁明しました。当時、三人は出会いを期待してリゾート地に出かけたのですが、周りはカップルばかりで誰からも相手にされず、男三人で自棄になってはしゃいだことはリリちゃんには内緒です。
「ムキになるところが、益々、怪しいわね。ねぇ、リリちゃん?」
ママが男をからかいます。
またしてもママに同意を求められたリリちゃんは、ママと顔を見合わせて「ねぇ」などと言い合っています。
「あっ、ひでぇな、ママ。リリちゃんに対する俺の気持ちを知っておきながら、そんなことを言うんだ。」
男は完全にふて腐れた様子です。
「あ~あ~、どうせ行くなら、女の子と一緒に行きたかったな~。」
「やだ~、センセのエッチ~」
ママが男の肩を軽く叩きます。
「なんだよ、エッチって。俺はただ、女の子と一緒に旅行に行きたかったなって言っただけじゃないか」
「だってぇ~、先生が言うとなんか、いやらしいんだもん。ねえ、リリちゃん。」
「先生、いやらしい~」
リリちゃんもママに調子を合わせます。男はリリちゃんの反応を横目でうかがいいつつも、苦笑しました。
「いやらしいか…まあ、本当にいやらしいから仕方がないけどな。デヘヘヘッ」
リリちゃんに構ってもらえた男は、デレデレと相好を崩しました。
「エッチなおじさんは好きですか?」
「フフフッ、可笑しな先生。」
「なにぃ、オカシイだとぉ?こら~、あんまりバカにするといたずらしちゃうぞ~。」
先生はワキワキと指をリリちゃんのほうに伸ばしました。
「キャ~」
ふざけて逃げるふりをするリリちゃんに、先生の鼻の下は伸びっぱなしです。
「どう?リリちゃん、今度、俺と一緒にルーゼンに行ってみない?ルーゼンの海は綺麗だぜ~。遠浅でさ、海に中に立っていると、魚が足の間を泳いでいくんだぜ。」
真顔になった先生は、リリちゃんのほっそりとした手を掴もうとしましたが、リリちゃんはグラスを下げるふりをして、さりげなく手を引っ込めてしまいした。伸ばした手をどうしていいかわからなくなった先生は、所在がなくなった手を頭にもっていき、ポリポリと頭を掻きました。
「おじさん、リリちゃんの水着姿が見たいなぁ~。なんちゃって。」
「ほら、やっぱり!センセのエッチ~」
リリちゃんの代わりにママが言ったので、リリちゃんは思わず吹き出しました。
「なんでママが言うんだよぉ」
先生もつられて笑い出します。
ひらり、ひらりと舞う夜の蝶は、男には当分、捕まえられないようです。
「楽しそうだな…」
隅のテーブル席に座っている男がボソリと呟きました。カウンター席の男の声が大きいので、嫌でも会話が耳に入ってきます。
「それでさ、その子が言うんだよ。このドラゴンは遠い国のお姫様から預かった大切なペットだって――」
話題は再び先程のドラゴンの話に戻ったようです。男たちは「ドラゴン」という言葉にピクリと反応しました。三人のうち二人は顔を見合わせて頷き合っています。一人はただ黙ってグラスを見つめていました。
三人組が座っているのは薄暗い店の中でも更に暗い一角でした。リーダー格らしき男はカウンターに陣取っている男を鋭い視線でチェックしながらも、一言も聞き漏らすまいと聞き耳を立てていました。向いの二人は、その男の手下(てした)のようでした。手下の一人は、リーダー格の男が時々、呟く言葉に静かに頷いていました。通路側に座っている男は、リーダーの話などそっちのけで、リリちゃんばかりを見ていました。
「おい、忘れるなよ。遊びで飲みに来ているんじゃないからな。」
リーダー格の男が低い声で呟き、もう一人が小さく頷きました。しかし、通路際の男はリーダーの言葉には答えずに、手の中のグラスをじっと見つめました。男は店に一歩、足を踏み入れた途端、恋に落ちてしまったのです。
――あの天パ野郎、リリちゃんに指一本でも触れたら許さないからな。呪い殺してやる!
男は先程からカウンター席の天パ野郎に強烈な殺気を送っていました。が、天パ野郎のテンションは上がる一方です。
――あいつ!この俺の殺気を受け流すなんて、どれだけ鈍いんだ…
天パ野郎に対する男の憎しみは増す一方でしたが、男の向こう側にいるリリちゃんが目に入った途端、そんな気持ちも急速に和らぎました。
――リリちゃん、そんな奴、相手にしなくていいよ。ああ、一刻も早くクソ天パ野郎が帰りますように。
男は祈るような気持ちで再びグラスに目を落としました。しかし、しばらくすると、どうしてもリリちゃんを見たいという欲望に勝てなくなり、再びカウンターを盗み見てしまいます。
男がちらりとリリちゃんを見ると、リリちゃんは落ちてくる長い髪をかき上げながら、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しているところでした。長い爪を庇いながらミネラルウォーターの蓋を開けようとする動きがとても女らしく感じられて、男はしばしの間、ほっそりとした白い手の動きに見惚れていました。しかし、ミネラルウォーターの蓋がやたらと固いのか、はたまたリリちゃんが非力すぎるのか、蓋はなかなか開きません。
――そんなものさえ、開けられないのか。
呆れる一方で、庇護欲が刺激されます。男はつい手を貸したくなりました。
「俺が開けてやるよ。」
カウンター席の男はリリちゃんの手からミネラルウォーターのひょいとボトルと取り上げると、易々(やすやす)と蓋を開けて、リリちゃんに返しました。
「あら、センセ、力持ち。ステキ!」
「ありがとう、先生。」
リリちゃんから感謝され、男は照れたように頭を掻きました。
「よせよ、このくらいで。」
そう言いつつも、満更でもない様子です。
通路側の男は持っていたグラスを握り締めました。
――くそっ!俺が…俺が蓋を開けてあげたかったのに!
リリちゃんは琥珀色の液体が入ったグラスにミネラルウォーターを注ぐと、マドラーでかき混ぜています。男はまたしてもリリちゃんの手の動きに見惚れてしまいました。が、ありったけの意思の力を総動員して、視線をグラスに戻しました。リリちゃんが髪をかき上げる度に香水の匂いが男の席まで漂ってきて、切なさに胸が締め付けられます。男は密かに溜息を漏らしました。
男はキャップを目深に被っていたため、表情を窺がい知ることは出来ませんでした。しかし、その雰囲気から察するに、かなり陰気な性質(たち)のようです。
暫くすると、男はまた顔を上げてカウンターのほうをちらりと盗み見しました。そして、また溜息。何度、同じことを繰り返しているのやら。
静かに飲んでいるにもかかわらず、三人はかなり悪目立ちしていました。原因は、異様なまでの陰気さとその出(い)で立(た)ちでした。男たちは揃いも揃って床まで引き摺るような長い黒衣を着ていました。店の中は暖房が効いて暑いくらいなのに、指先まですっぽりと黒衣で覆っています。そして、なぜか黒衣に全くそぐわないヒップポップ調のキャップを被っていました。顔を隠すために、どこかで適当に調達したものかもしれません。キャップの下から辛うじて見える目は暗い光を放っていました。
――ああ、こんな体でなければ、俺もあんなふうにリリちゃんとしゃべれるのに…
男はじっと自分の手を見つめました。男の手は薄暗い照明の下でもはっきりわかるくらい青白く、指先まで黒い文様が彫られていました。無理矢理、眠りから覚まされた男の体は死んでいますが、心は生きています。生と死の狭間で男の心は引き裂かれ、胸が張り裂けそうでした。
ちらりとまたカウンターを盗み見た男は、一瞬、リリちゃんと目が合い、微笑みかけられました。その笑顔に、男は雷に打たれたように動けなくなってしまいました。男はそのまま数秒間、貪るようにリリちゃんを見つめていましたが、リリちゃんが急に真顔になったので、自分がリリちゃんを怖がらせてしまったことに気が付きました。ギギギギと錆びた機械のような音を立てて、男はぎこちなく顔を背けました。
――ああ…リリちゃん...
リリちゃんの艶やかな長い髪が、仄かな照明の下で天使の輪を作っています。男は先程、見た映像を忘れないように、細部に至るまで鮮明に心に焼き付けました。
――俺に笑いかけてくれた!
男はグラスを握りしめました。
――天使すぎる…
店に入ったときから、リリちゃんは男たちに優しく接してくれました。この店に来る途中でも、人々は彼らを避けて通っていましたので、自分たちが気味悪がられていることは充分、自覚していました。
でも、リリちゃんだけは違ったのです。リリちゃんは彼らに対しても、他の客と同じように接してくれました。営業スマイルかもしれませんが、それでも男にとっては砂漠で喉を潤す一杯の水のようでした。
リリちゃんに会うまで、男は自分の運命を受け入れ、淡々と日々を過ごしていました。強大な魔力を誇るマスターの前では、抵抗など無意味でしかなかったからです。しかし、リリちゃんを見ているうちに、失っていた大切な何かを思い出し始めました。
天使に微笑み掛けられた衝撃から覚めると、男は再び暗い思考の海へと沈んでいきました。
――俺はあのまま静かに眠っていたかったんだ。それを無理矢理、起こされてこんな…
男は自分の手をじっと見ました。
――生きているときでさえ、これほど強烈に誰かに惹かれたことはなかった..なのに、こんな体で恋に落ちるなんて…
運命とははなんと残酷なのでしょうか。男は天を呪いました。
男がひたすら自分の運命を呪っていると、またしても天パ野郎の能天気な声が聞こえてきました。
「ほら~、チューしちゃうぞ~」
「キャ~。もう、先生ってばぁ~。や、め、て!」
男はハッと我に返りました。
――ぐぬぬっ!感傷などに浸っている場合ではなかった!バカ者めっ!いい気になりおってっ!
男は再び、天パ野郎の後ろ頭に鋭い殺気を飛ばし始めました。
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